―Koheiさんが18歳の時にTatsuroさんと出会った最初のきっかけは?
Tatsuro 前に自分がやっていたバンドが99RadioServiceと対バンしたのが、最初の出会いです。
Kohei Tatsuroが狭い楽屋で騒いでたから、うるせぇヤツだなと思ったのが第一印象でしたね(笑)。
Kota Tatsuroのバンドは吉祥寺Warp、99RadioServiceは下北沢Eraでよくライブをやっていて。
Tatsuro Kotaはその辺りのバンド仲間から“兄貴”って呼ばれていたので、俺も自然とそう呼ぶようになった。
Kota 何回か顔を合わせるうちに仲良くなったって感じかな。以前からKoheiはTatsuroのことを気に入っていて。曲も作れるし、ドラムもしっかり叩けるから、いつか一緒にやりたいって言ってたんですよ。
Kohei でも、Tatsuroには自分のバンドがあるし、99にもドラマーがいるから誘えないよなって、当時は思っていて。で、去年、友達の結婚式でTatsuroと久しぶりに会った時に、お互いに近況報告をする流れで、ドラマーとキーボードが抜けちゃってさなんて話の中で、「ドラム叩いてくれない?」って誘いました。
―Tatsuroさんは迷うことなく、即OKしたそうですね。
Kohei その時、Tatsuroは「俺にいい思いをさせろ!」って言ったんですよ
(笑)。
Tatsuro Koheiに声をかけてもらう少し前くらいに、僕の個人的な人生設計していたんです。もうちょっと自分は音楽やバンドでいい思いをしてもいいんじゃないかという気持ちを非常に強く抱いていた時期だったので、「とにかく俺にいい思いをさせてくれ!」っていいました(笑)。やるからには自分が40代を超えても、音楽やバンドを続けられるモチベーションを作りたかったんですよ。
―Tatsuroさんはどんなドラマーですか?
Kota 曲も作れるし、構成もできるし、音楽理論も知っているから、ガチガチに理論的な感じで叩くドラマーなのかと思いきや、いざドラムセットの前に立つと感情的なプレイをかましてくるところが天才だな、と。
Tatsuro あざっす!
Kohei Tatsuroは俺らとは違った角度からのアイディアやセオリーを提案してくれるので、スタジオ作業がまとまりやすくなりましたね。何かを決める時に、ヤダって最初から決め付けるんじゃなくて、やった方がいいか、やらない方がいいのか、結局どっち?って 大人な視点でちゃんと進行して、まとめ役を率先してやってくれる。なにしろフットワークが軽い。
Jigen Tatsuroのドラムはすごく頼れるし、任せられるので、べーシストとしてとてもやりやすいです。
―ちなみに、ベースのJigenさんは、『ルパン三世』のJigenに風貌が似ているからという理由で、そう呼ばれるようになったんですってね。
Jigen バンド周りだけで呼ばれている名前なので、地元の友達は俺がJigenって呼ばれているのが、芸名みたいでおもしろいみたいです(笑)。
Kohei Jigenみたいなヤツって、僕の周りにはいないタイプなんですよ。どんなに深刻な状況になっても、なんでこんなに遠くから見ていられるんだろうって驚いちゃうくらい遠くから99RadioServiceを見ているし。以前は、メンバーなんだからもっとこっちに入って来いよ!って思っていたけど、たぶんJigenみたいに俯瞰で見られる人間がバンドに1人いてくれるのは、99RadioServiceにとっていいことなんだなって思うようになりましたね。
―そして、バンド仲間からririさんを紹介されたのが、去年の夏でした。
riri 私以外の4人は共通しているものがすごく多いけれど、私だけ共通の知り合いがほとんどいないし、バックグラウンドの音楽もぜんぜん違うので、まさしくゼロの状態からの参加でしたね。
Kota ririはキーボードのプレイヤーっていうよりも、もともとピアニストなんですよ。
―ririさんがこのバンドでキーボードを弾こうと決めた理由は何ですか?
riri 最初はあまり深く考えていなかったというか(笑)。KotaさんやKoheiさんは去年の9月9日のイベントだけをサポートしてくれるキーボードを探していたし、私もそのつもりだったので。でも、リハに入った時に、自分とは違う解釈で考えてもみなかった方向に進んでいく現場が、私としてはおもしろかったですね。
Kohei ririちゃんは去年4人編成でやった99のライブを観に来てくれたよね。
riri 初めて99RadioServiceのライブを観て、自分がそこにいるいないに関わらず、客観的に観てもカッコいいバンドだな、みんな輝いているなって思えたんです。もしこのバンドで私にできることがあるのなら、このバンドでキーボードを弾きたいと思いました。
Kohei 去年の9月9日に、久しぶりに5人編成の99RadioServiceでやった時に、やっぱり自分はバンドの音が好きなんだなと思って。その時点ではサポートとして頼んでいるから、先々のライブまで頼んじゃっていいのかなと思いつつも、結構2人に頼んでたけど(苦笑)。あと、Tatsuroは昔から知っているから言いたいことを言い合えるけど、最初のうちはririちゃんとどう接していいのかわからなくて、なんとなく遠慮しているところがあった(笑)。
riri 私も最初はみんなの性格がわからなかったから、このメンバーの中にどう入っていいのかわからなかったです。
Kohei なにしろ99RadioServiceに女の子が入るのは初めてだから、ね。
Kota っていうか、俺らは女の子とバンドをやった経験が1度もないからね。
Kohei それこそ下ネタNGなのかなとか、男気っぽい雰囲気は苦手なのかなとか、男子は思っちゃうわけですよ。でも、蓋を開けたら、ririちゃんはかなり凛々しくて、男前だった(笑)。
riri (笑)。みなさんが自分の自然体を受け入れてくれて、気づいたらすごく居心地のいい場所になってましたね。
Kota 結局、一緒にやって楽しいか楽しくないか、スタジオで一緒に音を出したいか出したくないかが、いちばん大事というか。
そういう初期衝動がないとバンドは前に進んでいかないんですよ。
Kohei この5人でライブをやるたびに、みんなのバンドに対する意識が変わっていって、この5人の99RadioServiceになっていったっていう感じだったよね。
riri できないことを責めるんじゃなくて、いつも見守ってくれたと言うか。サポートメンバーは求められた事ができなければ切り捨てられると思っていたので、みなさんが支えてくる優しさを感じました。
Kota ririだけじゃなくて、メンバーの一人ひとりが自然体でいられるっていうのは、すごく大事だったね。
―この5人でのライブを何回か重ねて、いよいよ4thアルバム『LOVE IS GOLD』のレコーディングに突入。スタジ
オでの印象的な出来事は?
Kohei Kotaが骨折したことは【パート2】のインタビューで読んでもらうとして(笑)、ライブを何度も一緒にやっているTatsuroやririちゃんは、サポートだろうがなんだろうが、すでに99RadioServiceのメンバーなんだなっていう雰囲気がスタジオにあって。個人的に嬉しかったのは、その日のレコーディングが終わったあと、しばらくするとririちゃんから「今日はお疲れさまでした」なんて、メンバー全員にLINEが送られてきて、みんなも既読放置せずにちゃんと返しているそういう感じって、なんかいいな~ってニヤニヤしてたな(笑)。
Kota 俺はスタジオに行くのが楽しみでしょうがなかったですね。こんな曲ができちゃった! あの曲がこんな感じになった!って、みんながワクワクしている場所にいられるなんて、こんなに嬉しいことはなかったです。初期衝動に動かされて音楽やバンドをやろうと思ったことを、今まさにこの5人はやっているんだなって感じられる瞬間がいっぱいあった。
Tatsuro 俺はKoheiの歌がすごくいいなと思ったし、兄貴が顔をくしゃくしゃにしながら泣きのギターを弾く姿が最高で、僕の気持ちがぐっと高まるのがわかった。あと、「恋心」は、ririちゃんじゃなければ、絶対にあのピアニックな感じは出せなかったと思います。ピアノの中に語彙がいっぱい出てきて、マジックが起こったなぁ。
Kohei Jigenは「Failure」と「BOYHOOD」でシンセベースを弾いて、どうだった?
Jigen 初めてチャレンジしてみたけど、
シンセベースをやったことで、今までべーシストとして意識していなかったようなところを意識するようになった。いつも弾いているベースとはリズムの取り方が違うから、弾き方のタイミングも違うし、音も変わるから、自分ができることが変わってくるし。いいチャレンジになりました。
Kohei Jigenが新しいことを受け入れてくれたことで、今まで自分たちがやらなかったようなことにも挑戦できたよね。
Tatsuro Jigenって、こんなことやれないよって言いそうなところをやる男ですから(笑)。
Kohei で、そんなJigenはミュージシャンにとって命の次に大事な機材であるそのシンセベース、電車に忘れて帰るという失態をかましちゃった(笑)。
Jigen あの時はさすがに真っ青になっちゃって。終点の高尾駅まで取りにいきました……。
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